院長紹介
すずしろ歯科 院長 山本 拓
地域の皆様方に少しでも貢献いたしたくこちらで開業させていただきました。
院長のプロフィールをご紹介させていただきます。
南蔵院幼稚園
幼稚園の頃は毎朝?学田公園のラジオ体操に走って通う元気な園児
中村小学校 中村中学校
野球少年。腕白坊主でいつも威張って子分を引き連れていました。
小、中学校は野球に遊びにこのあたりをはしりまわっていました。
小学五年生の時に友人達と自慢のマウンテンバイクで東京タワーを見に行ったこともあります。
腕白坊主で(高校3年生までずっと坊主!)家で焚き火をしているのをお爺ちゃんに見つけられ友達と一緒にひっぱたかれたり、泥んこ遊びが好きで全身に泥を塗り、黒人!黒人!と言いながら目白通りまで走っていったり、とにかく毎日日が暮れてもずっと外で遊んでいました。
体を動かすことが好きで野球も良いコーチのおかげでずっと4番バッターでホームランをよく打っていました。中学生3年の時にクラブチームの朝日新聞杯で優勝して新聞にも載りました。
日本大学豊山高校
高校生になっても野球部に入部、ここで人生最大の試練を受け、自分の限界を知る。当時野球部では理系に入ると絶対に留年するからやめろと先輩たちに言われていました。なんと言っても理系科目のほうが得意だったので、決死の思いで理系を選択しました。理系に進んだ先輩たちはみなマネージャーの方か、残念ながらみなベンチ入りできない方ばかりでした。
同じポジションの同級生は名門 調布シニアからの野球推薦組だったので高1にして182cm75キロと堂々たる体格、絶対にかなわないと思いながらもいつかは絶対にレギュラーになってやると必死で練習しました。一時はあまりに辛い練習と常に自分の限界ぎりぎりの力を振り絞っていたため、精神的にもかなり辛い時期がありました。しかし何とか乗り越え、少ないチャンスを物にし、3年生でやっとレギュラーになり最後には4番バッターとしてチームに貢献しました。
一緒に練習をしておりプロに入った拓大紅陵高校の野球部の選手をみて上には上がいて、元々の能力と体力の違いを知り本当にプロになる人は尋常ではないことを知りました。高校生で一生分の野球をしたので大学に入ってからはもう野球はしないぞと決めました。
日本大学松戸歯学部
アメリカンフットボールに出合う
大学は先輩たちも何だかとっても大人に見えました。入学当初は焼肉やレストランに連れて行ってくれ進路の相談までしてくれました。今思えばクラブの勧誘だったのですが、初心な僕はなんて良い先輩たちなんだろう。といつの間にかアメリカンフットボール部に入部しました。
歯学部では、高校時代に運動部でスポーツをしてきた人が少なかったので絶対に他の連中には運動では負けないぞ!!という歯学部に何しに入ったのか分からないのですが、アメフトにのめり込みました。母校はなぜかクラブ活動が重んじられ、学業と両立して初めて一人前という風潮がありました。当然先輩との上下関係は絶対です。1年生から見た4年生は王様で、5 6年生は神様のような絶対の存在でした。監督 コーチの先輩などは口も聞いてはいけないような感覚でした。
私のアメリカンフットボール部は全日本歯科学生総合体育大会で10年連続優勝しており勝って当たり前のチームでした。負けるなんて事は何より恐ろしいOB会の先生方に顔向けできず、それは考えるだけでも恐ろしいことでした。ちなみに僕が学生の頃は6年間を通じで公式戦、練習試合を含めて3試合だけしか負けず、無敵のアメフト部でした。
4年生の頃はキャプテンとなり総勢60名のチームを引っ張り、医科歯科リーグ1部で優勝することが出来、6年生の時は埼玉スーパーアリーナで慈恵会医科大学と決勝戦をし優勝したのですが、最優秀選手賞(MVP)をいただきました。大学通算で4回MVPを頂きました。今でこそ体重65KGそこそこ ですが、当時は80KG弱ありベンチプレスも120KGはゆうに持ち上げていました。
そんな運動ばかりの自分でした。運動をしながら勉強をする。歯学部というのは少し油断すると直ぐに落第してしまいます。麻美先生のように、学生時代ずっと主席だったタイプではなかったため、試験前には学校に泊り込み部活で火照った体を冷やしつつ徹夜で試験に挑んだものでした。何といっても学生の本分は学業ですから、、、文武両道 ストレートに大学を卒業し 卒業試験では10番台で合格することが出来ました。
なんだかここまでは何のプロフィールか分かりませんが、このあたりからやっと歯科との話になってきます。
卒後 日本大学付属板橋病院歯科口腔外科にて研修
卒後は松戸に残らず他大学の先生の刺激を受けたい、またいつかは地元で開業したいと思い(当院の患者様をなるべく負担なくご紹介することが出来ると思ったため) 板橋にある日本大学付属板橋病院に就職いたしまた。 (現在も在籍)
さすがに医学部大学病院。病棟の患者様の歯科医療と一般歯科医院からの紹介患者様の治療がメインです。内科的、外科的な病をお持ちの患者様の治療というのは健常者と比べ、非常に多くのリスクを伴います。
歯科というより内科的な勉強や内服中の薬の影響、有病者の歯科診療、救急外来の診療 外傷患者様の手術 顎骨腫瘍の摘出 粘膜腫瘍の摘出等たくさんの有病者の歯科診療および外科処置を致しました。
こちらで何よりも予防に勝る治療はないことを痛感いたしました。そして感染症の怖さをしりました。現在は日大松戸博士を取得し講師として貢献しています。口腔外科在籍中に関連病院の桧原村診療所、三鷹の長谷川病院(精神科 歯科)等で診療に従事いたしました。
その後医学部の麻酔科にて半年間の研修をしたくさんの仲間に出会いました。麻酔科での研修でさまざまな体験をし多くの勉強をしました。麻美先生とはこの麻酔科で出会いました。初めての当直が一緒だったのですが、あの日は麻美先生にずいぶんご教授頂き、脳梗塞の患者様の手術を朝の5時まで麻酔をかけ、そのまま6時に外の病院に仕事に行きました。あの頃は寝る時間が惜しかったです。
社会保険横浜中央病院歯科口腔外科に出向
科長と二人で手術に外来、救急患者の受け入れや入院患者の全身管理など一般の歯科医院ではなかなか体験できないような仕事をたくさんしてきました。手術は1症例以外全て執刀させていただき、たくさんの手術経験をさせて頂きました。上司の絹川先生は非常に厳しい方でしたが本当に感謝しております。
慶生会クリニック
こちらのクリニックにはたくさんの専門医の先生が在籍。日大板橋病院の大先輩中村先生に一般診療と外科診療について、また大学病院と一般診療所のスピードの違いについて教えていただきました。
また外科出身でしたので、縫合処置などは得意でしたが、歯周病の専門医の清信先生に外科のそれとは比較にならないほど細部のティッシュマネージメント(組織のケア)が大切なことを1から教育していただきました。
慶生会クリニックはたくさん患者様がいらっしゃるクリニックで外科処置もたくさん任されました。現在およそ1400症例の埋伏歯の抜歯はさせていただいております親知らずで抜けない歯はないと自負しております。
志田歯科医院・はら歯科院
横浜市の志田先生は、アメフト部の先輩の先生で補綴科(義歯、かぶせ物)の先生ですので、義歯の作り方 理想的な咬合の求め方など1から教えていただきました。志田歯科医院には足掛け10年間お世話になり、何も出来ない自分が今に至るのは志田先生のお陰とおもい、いつ志田先生がすずしろ歯科にいらしても恥ずかしくないような治療をしようと心がけています。
小山市の原先生もアメフト部の1級上の先輩ですが、1昨年開業されたばかりなのに非常に多くの患者様に御来院頂いており、これからの開業スタイルとはどうあるべきかなど、毎週泊り込みで夜遅くまで相談に乗っていただきました。
以上長くなりましたが、私のプロフィールでございます
なにより御来院頂いた患者様が、長くご自分の歯で不都合なく噛める、1度失ってしまった歯を回復機能させQOLを高めることを目指します。まだまだ未熟者ではございますがご指導ご鞭撻いただき日々勉強 精進いたす所存でございますので宜しくお願い致します。
院長 山本拓